チョーヤの歴史
「日本の梅を世界に」という夢に
一歩一歩と前進し続けてきた
チョーヤの歩みについてご紹介します。
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すべては、
葡萄栽培から始まった。
チョーヤは、1914年に葡萄栽培農家から始まり、
葡萄を使用したお酒であるワインやブランデーを製造していました。
農家からはじまったメーカーだからこそ、農産物を大切にすることだけでなく、
農家の方々と一緒に成長する「産農一体」の精神が、
良質でおいしい商品づくりを継続する基本であり、お客様にも喜んで頂ける。
という創業者 金銅住太郎の想いは今も継承されています。
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「梅酒」という名の挑戦。
ワインの研究でヨーロッパを視察した住太郎は、
海外の良質なワインやブランデーに触れたことで、
いずれ輸入が自由化されると国内市場が席巻されてしまうと脅威を覚えました。
そして、海外から入ってきた文化ではなく、日本特有の文化や伝統を醸成させ、
ゆくゆくは世界へ伝えたいという夢を持つようになります。
そして、ついに1959年世界最高品質を誇る日本の梅との出会いを機に、「蝶矢 本格梅酒」を発売します。
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社名の「蝶矢」は、本社のある駒ケ谷周辺にギフチョウなどが多く生息していたことと、
石器時代の矢じりなどが採れる地域であったことに由来し、命名されました。
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苦難の時代。
1962(昭和37)年、法人組織とし、「蝶矢洋酒醸造(株)」の名で新たにスタートを切りました。
しかし当時の梅酒は家庭で作るのが常識で、
酒販店に置いてもらおうとしても、「売れるわけがない」と行く先々で断られてしまいます。
昭和40年頃はまだ店頭に数本置いてもらうのがやっとでした。
その後も地道な販売活動を続けますが、10年経っても売れない状況が続きます。
それでも「いつか梅酒の時代がくる」という信念を無くすことはありませんでした。
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時代の流れが変わる時。
梅酒を取り巻く環境はゆっくりと、確実に変化していました。
都市部への人口が集中し、核家族化は一層進み、ライフスタイルの移り変わりに伴って、
家庭で漬ける代わりに「商品としての梅酒」の需要が増え始めてきました。
この年より1980年代にかけてチョーヤは着実に売上を伸ばしていきます。
苦難の時代を経て、
ようやく梅酒という新しい市場を生み出すことができたのです。
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国際市場への進出。
日本の伝統文化である「梅酒」を世界に伝えたいという想いで、
1968年から梅酒の輸出を開始し、1985年から欧州に向けて本格的に始動しましたが、
当初は苦戦を強いられました。
もともと梅という果実が欧州にはなかったので、まずは味を知ってもらおうと現地での試飲を続けます。
そして徐々に日本のリキュールとして認知を広げていき、
5年後の1990年、ドイツにCHOYA UMESHU GmbH(Germany) を設立。
長年の悲願だった国際市場への進出を果たしました。
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梅酒市場の拡大。
平成に入って若い人も梅酒を飲むようになり市場が拡大。
1991年頃は、梅酒の生産量は2桁の伸びを示し、6千kl を超えていました。
1994年、梅酒の市場規模は1万kl に達し、この10年で5倍に急成長。
その後も成長を続け、1997年には梅酒市場は初の2万kl 台へ。
そして2000年、社名を「チョーヤ梅酒株式会社」と変更し、
1990年代後半からアジアやアメリカにも進出し、
着実に世界中に梅酒を広めていきました。
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梅酒の新基準制定
~「The CHOYA」誕生。
市場が拡大した一方で酸味料など添加物を使用した商品が台頭した事により、
梅の実の出荷量は比例して伸びず、梅農家の方々の経営環境が次第に苦しくなります。
そこで、2015年には農家や梅の文化を守り、お客様の選択基準を明確にするという観点から、
「本格梅酒」というカテゴリーが制定されました。
そして翌年、これまでのチョーヤの集大成ともいえる「本格梅酒 The CHOYA」が誕生しました。
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チャレンジは続く
農家の方々と共に梅を育て、
梅の文化を継承し、
新しい梅の可能性を追求し、
世界中の人々に梅の力を届ける。
これらの理念を胸に、
チョーヤの挑戦は続きます。
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